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【あかねの桐の物語】それから

「おいで、神子殿。わたしたちはいつも一緒だ。」
 この言葉につられてついつい、こちらに残ることを承知してしまったことを、あかねは後悔していた。

 友雅に抱かれて牛車から降りたとき、確かにあかねは最高に幸せだった。屋敷の女房達に目通り許すまでは……。
 あかねは大事なことを忘れていたのである。
 橘の家の御達の、お手つき人口を。
 友雅の夜伽をしなかった女房などいない。友雅好みの女房を集めているのだから。中には、立場を越えて何とかなるのを期待していたものもあるに違いない。極ミニながら、後宮が形成されていたのである。
 中でも最も寵愛されていた、しきり屋の御達がいた。
 憂いを含んだ横顔がちょっと男心をそそる。姿がよく、受け答えも悪くない。友雅の前では女房の分を越えることはなかったが、御達の中ではまるで北の方気取りで振る舞っていた。小侍従の君と呼ばれていた。
 急に女君を連れて帰ってきたのを見て、小侍従の心は穏やかであるはずがない。
「あれは一体だれ? どう見ても私より落ちるわよ。あんな女のどこがよくて……」
 龍神の神子だった姫だと聞かされても、小侍従は収まらなかった。龍神の神子様がなんだっていうの、殿は私のもの!
 その日から、小侍従は徹底的にあかねをいたぶることに決めた。

「今日からこの館の北の方としてお住まいいただく。あかねの姫だ。皆、心してお仕えするように」
 友雅に紹介されて、あかねは
「よろしくお願いします。」
と、ぺこりと頭を下げた。御達から、ひそやかな不満の声があがった。
「……何、あれ。上流の姫ではないわね。」
「異世界の姫よ。龍神の神子様ですってよ」
「異界の姫なの? お殿様ったら、私たちがあるのに、なぜそのような……」
 その一つ一つがあかねの耳に届き、あかねはいたたまれない気持ちがした。助けを求めて友雅の顔を見上げると、困ったものだ、という風に顔をしかめる彼がいた。
「聞こえてしまったかね? あれたちには後できつくしかっておくから、許しておくれ。君に心から仕えられる女房をさがさなければね。さしあたって、土御門から引き抜いてこようか。」
 あかねは首を振った。
 藤姫は、あかねが友雅と結ばれるのを心から喜んでくれたが、
「神子様があちらの館においでになって、お幸せに暮らせるとは思えませんわ。こちらの館にお通いいただけばよろしいではありませんか。」
と、ずいぶん心配し、進めてくれたのだが、客人の身で婿を通わせるのを何だか図々しく感じたのと、土御門の婿がねになるのを友雅が嫌ったので、橘の館に移り住むことにしたのだ。
 なのに、今、仕える女房がいないからと土御門に援助を求めるのは、藤姫に余分な心配をさせる。それだけは避けたかった。
 しかし、北の方として暮らすのに、このお手つき女房達とうまくやっていくのはかなり困難に違いない。友雅の愛を信じながらも、あかねは気が遠くなりそうだった。

 友雅も、あかねを連れてくるのは時期尚早だったかと少々不安を感じていた。
 中でも小侍従の動きが気になった。あかねに対する気持ちに気づいてから、それとなく、周りの女房達には気づかせてきたつもりだったが、小侍従とそのとりまきだけは、認めようとしなかった。今も、あかねに聞こえよがしにしたのは、彼女たちなのだ。
 誰と誰をあかねにつけたらいいのか……。男の友雅には判断できかねた。
(……こんな時にだけ、と、都合よく思うだろうが、母上に相談するか。)
 友雅は、母の住む対の屋へ出かけた。

「まあ、友雅殿。龍神の神子様を北の方になさったとは、誠ですか?」
 母はにこにこと友雅を出迎えた。普段は寄りつきもしないが、こうしてくるときは、何か、自分では解決しきれない大問題を抱えているとき。しかも、たいていは女性とのことだ。
「さすが、母上、お耳が早い。」
「あててみましょうか。お連れしたのはよいけれど、御達が神子様を受け入れないのでしょう? それで、どうしたらよいかと相談にいらした。違いますか?」
 友雅は、舌を巻いた。母上には何でもお見通しだ。
「でもねえ、友雅殿。それは、あなたがいけないのですよ。母の忠告をないがしろにして、気ままにしてこられた罰です。」
「それはそうですが……」
 友雅の大困りの顔は、めったに見られるものではない。母も笑いをこらえていたが、側に侍る若い女房の中には、我慢できずにくすくす笑い出すものもいた。母はそれをそっとたしなめると、
「お連れしたものを、土御門にお戻しになることもできませんね。何より、神子様がお困りでしょう。こちらの世界で親子の縁ができたのですから、母も一度お目にかかりたい。一度、こちらへお渡りいただきなさい。」
 母上におあずけすればよいのだ! そうすれば、あかねも、橘の家の北の方としてどう振る舞えばよいか、学ぶことができる。
 友雅は、早速、あかねを連れてくることにした。

 友雅の母に導かれて、あかねはどんどん、京のしきたりや振る舞い方を吸収していった。
 何しろ、今まで、怨霊や鬼と戦うことばかりに専念していたので、土御門でも礼儀やしきたりについてはあまりとやかく言われなかったし、衣服でも、動きやすい少年の衣装で過ごしていたのだ。これでは、友雅付きの御達に馬鹿にされても仕方がない……。あかねは、一日も早く、京の姫君として独り立ちしたかった。藤姫のように振る舞えばよいことは分かっていたが……。
 母も、砂が水を吸うように教えたことを身につけ自分のものとしていくあかねをかわいく思った。いつになったら身を固めるのかと冷や冷やさせられた息子が連れてきた姫。京一番の姫君に仕上げてあげましょう。母は、自分の知っていること、自分にできることをすべてあかねに伝えるつもりだった。嫁だ姑だと言うけれど、これでようやく孫の顔を見せてもらえるのだ。性悪の御達に意地悪されて、この姫が損なわれては生きる甲斐がないというもの。

「母上、どうですか。我が姫のご様子は。」
 公務から友雅が帰ってきた。最近は、姫がこちらにいるので、自分の館に帰らず、こちらにばかり帰ってくる。
「よく学んでおいでですよ。素直だから、何でもすぐに覚えておしまいになる。ほら、箏をさらっておいでだわ。お上手になられたこと。」
あかねの部屋の方から、箏の琴の音が聞こえてくる。友雅は、笛を取り出すと、箏の音に吹き合わせながらあかねの部屋に向かった。
あかねは笛に気づくと、箏から手を放した。恥ずかしそうに、顔を真っ赤にして。
「そのまま、そのまま。上手になったね。合奏をしよう。そのまま、弾いていなさい。私が合わせるから。」
 あかねは言われるままに箏を弾きはじめた。友雅は、その音色に合わせながら、うっとりとあかねの姿に見入っていた。
 髪はまだ短いが、これは時間がのばしてくれる。母上のご丹精で、しとやかで美しい振る舞いになった。箏を抑える優美な手つき。弦をはじく手を見つめる真剣な目。でも、口元にほほえみを絶やさなくなった。
 その目から、急に大粒の涙がこぼれたので、友雅は驚いて笛を止めた。
「……どうしたの? 寂しかったのかい? つらいのかね?」
「……いいえ。」
 あかねは何も言わず、涙だけが次々とこぼれてくる。友雅は、そっとあかねを抱きしめた。
「いったい、どうしたというの……誰か、何か、つらいことを?」
「いいえ。お母様も皆様も、とてもよくしてくれます。」
「じゃあ、一体どうして……」
「わからない……。涙が止まらないの。」
 友雅は、あかねがいとしくてたまらなかった。抱きしめ、口づけした。
「私が君を守るから……。安心して、神子殿。」
 友雅はそのまま、愛の動作に移っていった。友雅に愛されながらも、あかねの涙は止まらなかった。涙の意味がわからない……。幸せなのに、何故? 不安? 後悔?
 その夜、あかねは友雅の子を宿した。

 あかねが身ごもった話は、女房たちのうわさ話通信網で瞬く間に京に知れ渡った。
 土御門では、藤姫が大喜びで、たくさんの祝いものを頼久に持たせてきた。 
「『私が祓をしているから、問題ない』とお伝えせよと主がおっしゃいました。」
と、泰明が、安産祈願と物の怪退散の札を式神に届けさせてきた。
「あかね、これ食って、元気出せよ!」
と、イノリも、川でつってきたというウナギをたくさん持ってきた。
 鷹通や永泉からも、言祝ぐ言葉が贈られてきた。

 中に、一人、心穏やかでないものがいた。
 小侍従である。
「長くお情けを受けたのに、私は殿のお子を身ごもることがなかった! 龍神の神子と殿の縁を呪って、子を私の許に!」
 小侍従は、鞍馬へ向かった。
 深夜。
 頭に金輪を乗せ、その金輪にろうそくを3本立て、鞍馬のご神木に呪いの人形を打ち付ける。
「龍神の神子を亡き者に。そしてその腹の子は私の許に!」
 ご神木がざわめいた。何か黒くおどろなものが、宙を飛びかけっていった。

 あかねは急に息苦しさを覚え、そのまま病の床に臥した。
「物の怪でしょうか、祈祷を。」
 友雅の母はすぐに祈祷を命じ、懸命の看病をはじめた。
 友雅は、泰明を呼んだ。
「神子は呪われている。」
「呪詛を祓うことはできないか。」
「問題ない。これは、女の怨念だ。私は鞍馬へ行く。」
 友雅には分かった。小侍従だ。あれの仕業に違いない。
「呪詛した本人を調伏するか?」
「鬼になっていれば必要だ。鞍馬へ行けば分かる。」
 泰明は立って出ていった。
「友雅さん……。」
 あかねが苦しげに呼んだ。
「小侍従さんと……よく話して……。私、感じるの。小侍従さんの哀しみを。」
「私に任せておきなさい、神子殿。きっとよいように計らってあげるから。」
 友雅は立ち上がり、自分の館に急いだ。

「お殿様がお戻りになりました!」
 小侍従はいそいそと友雅を迎えた。
「お帰りをお待ちしておりました。母上様のお館にばかりお戻り遊ばして。小侍従は寂しゅうございましたよ。」
 友雅は苦い顔で小侍従を眺めた。一時にせよ、この女をかわいいと思った時期があったとはね……。
「話がある、小侍従。」
「まあ、怖いお顔。いったい何のお話でしょう。」
 友雅は、人払いをすると、小侍従と向かい合った。小侍従は、友雅にしなだれかかった。
「お戻りになったとたんに、私と二人きり? うれしゅうございますわ。」
「間違えてはいけない、小侍従。そなたには残酷かもしれないが。そなただけしか知らぬことだ。北の方に何をした。」
「あら、私、ご安産されますようにと、お祈りしただけですわ。」
 小侍従はひやりとした。泰明が……何かをつかんでいるかもしれない。
「泰明殿は、鞍馬へ行くと言っていた。」
 小侍従は、ますますどきっとした。思わず顔を背けた。
「北の方に何をしたのだ。そんなことをして、私の気持ちがさらに遠のくとは思わなかったのか。」
「私、殿様をお慕いしております。和子は私が挙げたかった! 長くお情けをいただいておりますのに、私にはそういったことは一度も……。小侍従は悔しゅうございました。」
 小侍従の目から涙があふれた。友雅は、小侍従から目を逸らした。突き放すようにして体も離した。
「そなたがそんなふうに考えていたとは気づかなかった。遊びと割り切って考えてくれていると思っていたよ。私が悪いのだね……。」
「殿様……」
「そなたには気の毒だが、今の私には北の方以外の女性は目に入らない。今まで仕えてくれてありがとう。そなたの気持ちに答えることはできない。この館を辞めるというなら、止めはしない。そなたなら、新しい主がすぐに見つかるだろう。」
 小侍従は涙をこらえて友雅を見上げた。今まで見たことのない、険しい顔をしていた。殿様の気持ちは、もう、自分に向くことはないのだ……。小侍従は、はっきりと、恋の終わりを悟った。
「分かりました……。辞めさせていただきます。長い間、ありがとうございました……。」
 小侍従は御前を辞して、自分の曹司に帰ると、荷物をまとめ、実家に戻っていった。
 しかし。
 友雅の前では物わかりよく振る舞っていたが、小侍従の心の中は煮えくりかえるようだった。
(あんな女のどこが……。私の方が上よ。今にお殿様も気がつかれるわ。必ず私の所に戻っていらっしゃるわ。)
 泰明に気づかれないように呪詛をかけるにはどうすればいいか……。小侍従の心はそれでいっぱいだった。

 小侍従は鬼になった。そして、山奥深く身を隠した。友雅のいない昼間をねらって魂魄をとばしてあかねを苦しめる。長居はしない。一瞬、黒髪で首を締め上げると、あかねははかなく気を失う。日ごとそんなことが続けば、知らぬ間に命も短くなろうというもの。
 泰明も、小侍従の鬼の存在をつかみながら、その一瞬の短さをとらえきれず苦戦していた。
「この私を手こずらせるとは……。なんと怨念の深い鬼か。」
 何とかあかねを守ろうと、泰明は躍起になっていた。

 月が満ち、あかねは若君を産んだ。光るように美しい若君だった。乳母も決まり、産養いの宴も次々と開かれ、橘の家は跡継ぎの誕生にわきかえった。
 小侍従の鬼は、出産のじゃまには来なかった。大事な友雅の若君である。無事に生まれてきてほしかったらしい。他のにぎやか好きの鬼がかわりにあかねをいたぶりに行ったから、それでよしとしたのだろう。
「君が無事でよかった……。ずっと具合が悪かったから、このままはかなくなってしまうのではないかと気が気でなかった。」
 友雅は、あかねの産褥を見舞っていた。出産の後で真綿にくるまれているあかねの背にそっと手を差し入れ、抱きよせた。
「若君を産んでくれて……ありがとう。かわいい子だ。」
「友雅さん……」
 あかねがにっこりと微笑んだ。誰にも、このままあかねは健康を取り戻すものと思える笑顔だった。

 ところが。
 あかねの健康はいっこうに回復しなかった。
 どこが悪い、というのではない。ぐっすりと眠ったはずなのに、疲れがとれない。体に力が入らない。
 友雅や泰明はもちろん、友雅の母も心配してあれこれ加持祈祷など頼み、土御門でも藤姫があかねの病気の原因を占うのだが、何に妨げられてか、結果が出ない。
 若君は日に日に大きくなる。あかねは日に日に弱っていく。友雅は心配でたまらなかった。このまま、はかなく消えてしまうのか? ひょっとして、あかねをこちらの世界に残して、子までなしたのがいけなかったのだろうか……。泰明は「問題ない」と言うが……。もともと、世界から来たかぐや姫のような姫君だ。物語のとおり、天に昇って月に帰ってしまうのか?
「友雅さん……」
 弱々しくあかねが呼ぶ。
「気分はどうだい? 私の姫君。」
 友雅は、あかねを手助けして起きあがらせると、手ずから薬湯を飲ませた。
「……苦いわ。」
「よく我慢したね。きっとよくなるよ。」
「……私……もうだめなの? もう一度、あなたと、随心院の桜を観たかったのに……」
 友雅は、返事の代わりにあかねを抱きしめた。観に行けるのなら観に行こう。桜までにはまだ間がある。それまでに、すべてを解決しよう……。

 その日、あかねは久しぶりに気分が良かった。
 しとねに自分で起きあがり、いつも世話をしてくれる女房に、髪をすいてくれるように頼んだ。
 友雅が、出仕前にのぞきにきた。久しぶりであかねが起きあがって身支度をしている。友雅はうれしかった。以前のあかねが帰ってきたように思えた。
「すっかりよくなったようだね。うれしいよ、姫君。」
「今日は少し気分がいいの……。ずっと寝てるのに飽きちゃったから、起きてみたの。」
「それはいい。よくなったなら、花見に行こう。どこへでも、連れて行ってあげるよ。」
 今日は司召しの日だから、公務が早く引けたら、今日にでも出かけよう。あかねの気分のいいうちに。
「今日はお仕事なのでしょう? 行ってらっしゃい。私、元気にして待ってるわ。」
「ああ、そうしておくれ。なるべく早く戻るよ。」
 友雅はそう言うと、部屋を出た。しかし、元気なあかねの姿を見られたのは、それが最後だった……。


 昼過ぎ。
 あかねは急に激しい胸苦しさを覚えた。
「息が……息ができない……友雅さん……」
 女房達が大慌てで薬湯よ祈祷よと騒ぐ中、あかねの目に一人の鬼の姿が映った。
「あなたは……小侍従さん……!」
「……もうこれまでだよ、異世界の小娘め! お前を殺して殿を我がものとする。時期を待っていたのだよ!」
 小侍従鬼はそう言うと、あかねの髪をつかんで首に一巻き二巻きすると、ぐうっぅと締め上げた。あかねは息が詰まってその場に倒れた。意識が遠くなり、何もかもが自分から離れていく感じがした。そして、何も分からなくなった……。
 知らせを受けて泰明が調伏に来たときには、あかねの息はすでに絶えていた……。
 あかねの亡骸を抱きしめて呆然とする友雅。
(今日は気分がいいから起きてみたの……元気にして待ってるわ)
 耳元であかねの声がこだましていた……。

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